自分の考えを疑う

ネガティブな思考を信じ、幸福を損なうリスクは誰にでもあります。

突然、正気を失うのではないのか、ガンになるのではないのか、自殺するほどの悲劇に遭うかもしれない。

心の闇は計り知れず消えたいとさえ思い、存在したくないと思う事もあります。

自分が無価値に思え疎外感を覚え、自分を救うものとのつながりが感じられなくなります。

そんな先の見えない絶望的な状況で人生のどん底にいる場合、その闇から抜け出せないのなら、自分が存在する理由がないとさえ思えます。

その気持ちと向き合う必要があります。

自分の気持ちに真剣に向き合い、気持ちを変えていくことです。

暗い思考があっても、仕方がないと思えばすぐに吹き飛んでしまいます。

そして、心の闇を払った後に残るのは光や喜び幸せです。

私たちはそれぞれ自分の幸せ度、その人の固有の幸せの幅があります。

幸せ度の半分は私たち自身の制御下にあり、習慣で引き上げられます。

幸せな人は自分の考えの全てが正しいとは思っていないようです。

私が言いたいのはまさにその点です。

状況を依存するような事実を絶望的な真実とみなしてしまったら、それは思慮に欠けた誤った判断になります。

注意を払うのは難しそうですが価値判断です。

価値の判定は思慮に欠けます。

背後の状況に関わらず、これは良くない悪いと教えられてきましたが、それを問い直さなければなりません。

頭の中の物語を変えることです。

状況をネガティブに捉えれば不幸せな反応になります。

状況の望ましい側面を捉えれば、幸せな物語ができ幸せを感じられます。

全ての人生は被害者のドラマとしても英雄のドラマとしても語れます。

人生は不運の連続で問題がつきものです。

問題の犠牲者となるか、冒険と捉えるかは人次第です。

犠牲者は状況で惨(みじ)めになり、英雄は全く同じ状況に果敢に挑戦するのです。

人生をどう語るかが幸せを決めます。

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自分を変えたいと思うときはどんなときでしょうか。 生きることが楽しいければ、あえて自分を変えようとは思いません。 むしろ、今の自分に満足しています。満足は自ら積極的に生きているときに得られるものです。 そうして考えてみると、もっと積極的に自分を出したいと思ったときは、自分自身の気持ちの変化の現れではないでしょうか。 つまり、今まで自分を抑えて生きてきたことからの脱皮宣言のようなものです。

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